からいこの考え中。

いろいろ工事中です

映画ゴールデン・スランバー  パーフェクトな伊坂幸太郎ワールドでした。

この映画はホント良かった。最近伊坂幸太郎作品は3作品ほど読んだんですけど、二時間ちょっとの中に伊坂幸太郎要素を詰めに詰めて作られていて、制作スタッフがかなりの時間かけて注意深く理解して作ったんだと思います。

伊坂幸太郎という作家は色々なもの書いている人だから作品ごとにテイストが勿論違うんだけど、この人に「張り巡らされた伏線を怒濤の勢いで回収させる驚愕のストーリー」を書かせたらスゴいものが出来上がるのは疑いようがないよなぁと思います。

 

あらすじ

首相公選制が存在する現代。仙台市では金田首相の凱旋パレードが盛大に行われていた。

宅配業青柳雅春は数年前に暴漢に襲われていたアイドル凛香を仕事中偶然にも助けたことで一躍時の人となり、地元では顔を知らない人がいない有名人。

そんな青柳は数年ぶりに大学時代の親友・森田森吾に呼び出される。森田の様子がおかしいことを訝しむ青柳に、森田は「お前、オズワルドにされるぞ」と告げる。

なんのことか分からない青柳だったが、その直後に首相は、どこからともなく飛んできたドローン爆発により暗殺され、警官が2人のところにやってくる。「お前は逃げろ」と促された青柳はその場を逃げ出し車を後にするが、森田は自動車ごと爆殺されてしまう。

その頃、街中では早くも青柳の顔写真や映像がくり返し流され、首相暗殺犯として大々的に報道されていた。青柳は、警察やマスコミを意のままに操作出来る大きな何かが、自分を犯人に仕立て上げようとしていることを思い知らされる。

青柳は様々な人々の力を借りて、逃走につぐ逃走を重ねて‥

(ゴールデン・スランバーwikipedia より)

 

見た後だから、分かるけど始まってスタートの段階から伏線準備が着々と進み、ラスト30分~40分ぐらいになると準備した伏線たちが一斉起動して見てる我々を驚かし続ける、物語を書く人にとって、結末から作って始まりまで作っていくというのは誰でも知ってるセオリーなんだけどこうも丁寧にやる人はそんな多くないんじゃ無いでしょうか。

特に、滝藤賢一が出てきた時は痺れましたね。事前に誰が出てるのかキャストを見てて滝藤賢一が出てる、という情報は知っていたんです。ただいつになっても出てこないからこの頃はモブで出演していたのかな?とおもったら、まさかの何だって~!でした。

 

 

キルオについて

画像の通り濱田岳が演じているわけなんですが、えぇ!?スゴく可愛いと思っちゃった(笑)この頃の濱田岳ってこんな演技してたんだと驚きでした。今だと硬派というか、話すと相手に食ってかかるような役が多い気がして全然そんなイメージは無かったですが。そういえば子役で芸歴相当長いんですよね。ウルトラマンの映画にバッチリ出てたし。

 

 

話を戻します。このキルオというキャラクターは気になったんです。というのも、伊坂幸太郎作品で共通して「人や社会のルールから明らかに外れていて、どうあっても制御できないキャラクター」というのが現れてくることがあるんです。

例えば、オーデュボンの祈りでは、桜というキャラクターが自らの裁量の元、人を銃で撃ち殺し続けていて、間違いなく悪いことしてる人も、それってどうなの?というひとまで手にかけているんですよね。

ネタバレ無しレビュー】オーデュボンの祈り / 伊坂幸太郎 予言するカカシはなぜ殺された…?│読んでも書いても楽しい!

あとは、同じオーデュボンの警官(名前なんだっけ?)や鴨とアヒルとコインロッカーの動物殺し、グラスホッパーの社長の息子とか、最初は悪いキャラクターをとことん救いようのないレベルで悪く書こうとしてたのかな?と思ったけど、それは多分違う。

もしかすると「人や社会のルールから明らかに外れていて、どうあっても制御できないキャラクター」たちを出現させることは、常識や法律、後先を考えなくなれば人間ここまでやるぞ?ということを言いたいのかもしれない。

物語上、状況によってはこういう常識の通じない相手に助けてもらえることも中にはあったけど、それは例えば偶然、追い風になったようなもので、運が味方しただけだよね。そして「どうあっても制御できないキャラクター」たちが倒れるときは、同様に制御できないキャラクターに倒されるというのがメチャクチャな中に共通しているルールなのかもしれない。

 

 

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バッドジーニアスを見ました。

タイ映画「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」 - 番組一覧 | アジアドラマチックTV(アジドラ)公式サイト

 

おすすめされたので、見てました。見終わって、まず思うのは、ああ家族って良いな。と思う。主人公がリンがタイの進学高校に転校するとこから始まります。

 

転校した先が多分私立の学校なんだよね。メチャクチャお金がかかる。でもこの子の家がシングルファザーで金銭的に余裕が無くてというかんじ。ただし、頭がメチャクチャ良くて成績が良くて特待生として転入するというスタート。

普通に良い成績をとって、それで卒業、そういうのだと物語にならないから、グレース、パットの二人「カンニングによる小遣い稼ぎ」を提案し、それがエスカレート。学校だけじゃ無く海外留学のための共通テストの不正にまで発展する。というのがあらすじになります。

そこまで新しい映画じゃないし、ネタバレというのはあまり気にしない人なので、お構いなしに書きます。

 

結局、主人公のリンと同じ学校のもう一人の秀才のバンクは多額の謝礼と引き換えに留学用の共通テストの不正を実行するんだよね。

でもバンクは途中で試験官にバレて、連行され、リンはなんとかバレずに逃げおおせた。不正自体は成功、ただし一人が無事帰還出来なかったという見てる側からすると、リンたちに感情移入してるので後味は悪いよね。

 

面白いなあ、というより良く人間をみて作っていると思ったのが、その後のバンクの動き。彼は事件のあと、リンに前回よりももっと規模のでかい試験で不正をしようともちかけてくる。

男って、なんかこういうとこあるよなぁと、思っちゃうんですよ。1度目の失敗は自分の能力、運とか足らなかっただけだ、だからもう一度やればできるはずだとよく分からない自信を持ち始める。例えばギャンブルで負けて、次こそは絶対勝つ!って言うあのかんじ。なんだろう、一度変にスイッチ入って、完全に引き際を見誤る。ああそういうのあるなぁと妙に納得出来ちゃうところがあるんですよ。

対してリンはもうやらないと言って突き放す。逆に女の人はこういうとき、スゴい冷静ソウソウ!て思うポイントだったり。こういう類型論は全部に当てはまるわけでは無いけどリアルな気がする。

 

もう一つ思ったのが、最後で大きく重要になったのが、多分家族の存在だったよね、とスゴく思う。

リンのお父さん、リンからしてみればガサツで別れたか亡くなったか覚えてないけど、お母さんのことを大事に思っていない嫌な親父だったんだろうけど、最後に彼の存在が大きかったはず。不正がバレてバンクを見捨てて戻ったリンには曲がりなりにも迎えてくれる人がいるんだよ。これは大きい。すぐにやってしまったことを告白するんで無くても、話を聞いてくれる存在って、とても安心すると思うんだよね。だから家族ってスゴく大事じゃん!と思うんですよ。

 

 

逆に、バンクはどうかって言えば、特大に貧乏で母子家庭で、母親の体調も悪くて対話できる状態じゃなさそうだし、実際やってなかったと思うし。こうなってくると暴走が始まれば未然に防ぐ人なんかいない。

この映画2017年の作品だけど、バンクをみててホワキンフェニックス版のジョーカー(2019)を思い出すのは私だけでしょうか。

ジョーカーも貧乏で追い詰められて信じていたものに裏切られ、何が原因かもよく分からないままどんどん狂っていく、そんな話なんだけど、これは似てるんじゃ無くて、人を追い詰めるのは何かをよく知っているからこそ交わるところがあったんじゃないかと思っている。

もしかすると、その後、試験の不正に限らずヤミ社会で生き抜くバンクになる物語があるかも(笑)

 

 

それと、

バッドジーニアスの恐るべきところは、エンディングで、2曲目が校歌みたいなメロディなんだけど、歌詞がもう皮肉に満ち満ちていて、ただただ、苦笑するしかないです。

友情とか助け合いとか、この映画をここまでみせて、それを言うのか!?とともすれば狂気じみている歌詞で、これは作り手の遊び心でしょうか。

それも確かめるつもりで見てみるのもどうでしょうか。